フランス革命を遡ること30年ほど前の1760年、この地方に畑を所有していたフランソワ・ドゥラモットがランスに設立した
ヴァン・ド・シャンパーニュ社がドゥラモット社の前身となります。
その後、長男のアレクサンドルが事業に参画したのを機に、社名をドゥラモット・ペール・エ・フィス―ドゥラモット父子商会―に変更、現在に続くブランドが誕生ました。
後にアレクサンドルの弟、ニコラ・ルイ会社を継ぎますが、彼は事業の拡大を図り、またシャルドネ種に大きな可能性を見出します。
そして共同経営者として、ジャン=バティスト・ランソンを社に引き入れますが、1837年ニコラが亡くなると、ジャン=バティストは社名をドゥラモットからランソンに変更、ドゥラモットのブランドは一時消えることとなります。
20世紀に入り、マリー=ルイーズ・ド・ノナンクール=ランソンにより両大戦の挟間1927年ドゥラモットの名が復活。
そして1988年にはサロンと共にド・ノナンクール家が経営するローラン=ペリエ社の傘下に入り現在に至ります。
現在、ブラン・ド・ブランのつくり手として事情通に圧倒的な支持を得ている同社ですが、上の歴史に散見される社名を見てもわかる通り、シャルドネを重視するグランド・マルクのルーツとなっているのがドゥラモット社であり、シャルドネに強みを発揮する素地が窺えます。